宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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シンルイの上下関係
シンルイ同士は対等の関係であるとみなされるが、実際にはシンルイとなった順に第一シンルイ(イチシンルイ)と呼ばれるなどの上下関係が見られる。こうした上下関係は、結婚式において上座に座るのが本家、その隣に第一シンルイがくるというようにして表れる。それ以降の席順は呼んだ家の年齢によって決まる。...
話者について
大工をしていた。自分の作った家は今回の地震・津波でも残ったところが多かった。平成10年ころから3期+1年(10年)、蒲崎の区長を務めた。軽い脳梗塞を患い、途中で退任した。市全体の区長会長を務めたこともある。現在は瓦礫撤去の仕事をしている。
高台移転
波伝谷の高台移転の候補地は現在、部落内では坂本の山側のサダミネと神社東側の松崎跡地の2か所あり、それ以外に個人で家を建てるという人が数軒、また南三陸町で準備するゴルフ場跡地の復興住宅に移るという人もいる。周辺の部落は、すべて1か所であるが、波伝谷は75軒ほどあったので、最初は1か所でと言...
その他
昔は神社の祭りのときに、青年団(後に漁協青年部)が中心になって演芸会をやった。神社の境内の西側に木を組んで舞台を作り、下にドラム缶や臼のようなものを入れて、その舞台で自分たちで練習した踊りをやった。
加入条件
大浜地区の嫁がメンバーとなっており、各戸から1人ずつ講に参加することになっている。計40人ほどのメンバーがいた。大浜に嫁に来た人間は、その次の講から参加することとなる。たとえば、1月11日にある家に嫁に来た女性がいると、翌12日の山の神講に参加させられることとなる。それまでその家から参加...
はじめに
今回の調査は、山元町天神社の奥の院の金庫を開ける開帳行事にかかわるものである。行事のため、現場での聞き取りを加えながらも、観察した内容を地の文で表現している。天神社の奥の院(お社の奥の部屋)には金庫があり、そこには御神体および縁起文書が入っているという。ところがこの金庫の鍵の保有者であっ...
「奥の院」設立と現在抱える問題
父が亡くなった後、神主は仙台に住んでいた兄が戻ってきて継いだ。兄でなく、いつも父についていろいろ見聞きしていた自分(三男)が継いだ方がよい、という意見もあったが、やはり長男でなければならないということで兄が継いだ。後に、その兄が病気で余命が少ないとなった時、管理する人がいなくなるので、大...
今年の祭り
4月に区の総会を行い、そこで開催を決定した。今期からOさんは区長になったので、「お祭りやるからよろしく!」というかんじで言われた。Oさんはその前までは役員だった。 (詳細は2012年5月3日の山口未花子氏による報告を参照)
人形様行事の準備
13時集合であったが、それより前に生活センター前に男性が集まり始める〔12時45分〕。先に到着した者が話者家に区長を呼びに来て、それに促されて話者①が生活センターを解錠した。まず話者家の納屋から藁を運び出し、生活センター正面側の道路付近で藁を整える作業に入る。ここから人形様の製作が始まる...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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