宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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ウラバライ(浦払い)について
唐桑で海難事故が最も多く起こるのは、カツオやサンマの漁船が唐桑にやってくる時なのだという。唐桑の漁師が海上で遭難や事故にあうと、唐桑全体で漁が一時的に中断され、全員で遭難者を捜さなければならない。「困った時はお互いさま」だからであるという。漁は、遭難者が見つかれば再開されるが、もし遭難者...
祭りの実行準備について
今年の3月ぐらいに氏子総代があつまった。総会もあった。そのときに「笑って集まれるのは、神社のまつりだからね」「祭りはやりたい」となった。特に仮設住宅に暮らす住民からはそうだった。正月くらいからだろうか、いや被災直後から祭りはやりたいという声があった。総代さんたちの「のり」がこの祭りをうご...
「ささよ」への影響
子供が自宅に持ち帰っていた法被3着のみが無事だったが、他のものはすべて津波で流されてしまった。ささよは年中行事であり、海上安全と大漁を祈願するものであるので、継承のためにも中止すべきでないと、2011年の12月に翌月の開催を決定した。しかし、時期的に法被が店で手に入りにくかった。すると、...
写真1 岩屋でのお籠り
神社関連の被害の状況の説明と支援の必要性
津波の際は、本殿のさい銭箱近くまで水が来た。長屋門は水没して戸は流され、中のものもすべて流されてしまったが、建物は残った。本殿は浸水してはいないが、地震のため、さや堂の中の祠のこけら葺の屋根が壊れてしまっている。宮司さんはショックでなかなか判断できる状況ではなく、今後どうしていくか決める...
避難所での噂話
その後、海洋青年の家が避難所に指定されず、物資も来なくなるといううわさが広がり始めた。建物にひびが入り、避難所の基準を満たさないとの話だった。300人以上いるから大丈夫だと話す人もいたが、4月に入るとこうした噂を聞いて登米や鳴子等へ移る人も出始めた。ここでは電気や水もなく不安があったが、...
尾崎地区の苦悩
多くの部落では合祀された際に地区の神社の祭礼がおこなわれなくなっていったが、尾崎地区は合祀されても村社である尾崎神社の祭礼を行い続けていた。この尾崎神社は、3月11日の大震災の際に尾崎地区の住民30数名が避難し、難を逃れた。なお、尾崎神社は実際に避難所指定されていたが、14、5年ほど前か...
写真3 坂元ダイスキ鎮魂祭での山元町長挨拶
日常の「カミダナ」祭祀
神主宅では毎朝水と塩で「ポンポン」と清めた。先々代にあたる話者の父が行っていたが父不在時は母、自分が中学くらいになると自分も代理で行った。毎月25日は、「カミダナ」を掃除することになっていて、念入りに掃除した。その時に、奉納されていた巻物を見たりもした。 部落の人は願い事や相談事がある...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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