宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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ベッカ(別家)の村
広浦は、「飯塚の次三男などが本家から田をちょこっと分けてもらって兼業農家で暮らすムラ」だという。広浦の町内会は、飯塚の飯塚町内会に属する。まさに飯塚の分村という位置づけである。飯塚や、そのベッカが多く居住する広浦には洞口姓が多いが、すべてが親戚関係にあるわけではない。大本家にあたるのは大...
鹿折と浪板虎舞保存会の被害と今後
震災で亡くなったのは、前幹事長で顧問、会計兼副会長(規約上自治会長は保存会副会長を兼ねることになっている)夫妻。浪板1地区では6名、浪板2地区では17人、計23名が犠牲になった。 もともとは、カトク(家督)つまり長男しか虎舞に関わることはできなかった。しかし、大学にいったり、就職したり...
田植えについて
田植えを手でした頃は、その時期は学校も田植え休みになって子供も働いた。田植えを手伝いに来てくれる顔ぶれはほとんど決まっていて、毎年同じような人が集まる。皆、腰にタモを括り付けてこれに苗を入れて作業するが、苗が無くなった人にこれを補給するのは子供の仕事である。幼くて田植えが出来ない歳の子供...
家屋田畑の回復
震災で傷んだ家屋の修繕はだいたい終わった。直したのは屋根と壁。屋根は台風の時も雨漏りしてたいへんだった。廊下はまだ直していない。 車がないと農作業に不便なので、軽トラを買った。とはいえ、一台で全部用足しするのは無理がある。トラクターは水をかぶったが部品交換してなんとか直った。 大場家...
契約講
契約講は以前はやっていた。話者家の本家と分家ほか13、4軒ぐらい。葬式の手伝いなどをした。お金を積み立てて融資もした。昔は当番で宿を回して会食した。そのうち仕出屋に頼むようになり、今はやめた。 (天童家家臣団の契約講をさすらしい)ダンポケイヤクという言葉もあった。草刈さんなどが入ってい...
はじめに
2012年9月17日、塩竈市浦戸寒風沢地区の神明神社秋季例大祭の調査。神明社での神事の後、漁協センターに会場を移して直会が行われた。以下はその直会会場での聞き取りである。
被災後の状況
かんなぎさんにはかなり助けてもらった。かんなぎさんは布団を配ってくれて、在宅(被災後も自宅の被害が比較的少なかったため自宅にとどまった人々のこと)の人たちは特に助かった。仮設住宅に入っている人たちは自動的に支援がやってくるけど、在宅の人たちにはそういうことが少なかった。だから、尚更ありが...
供え物の作成と各家への対応
石神社では、正月に氏子が神棚などに供える切り子、キリヌキ(切り抜き、切り紙とも呼ぶ)、幣束などを作成している。雄勝地区の200軒ほどに作成している。 切り子とキリヌキはあわせて10種類ほどがあり、これに幣束を加えて神社が作成する供え物は一式となるが、家によって組み合わせが異なる。宮守と...
地域の概要
閖上地区は、名取市北部の沿岸に位置し、東日本大震災以前は約1,000名が居住していた。行政区としての閖上地区は、町区と陸区(おかく)に分かれている。これは住所表示として、「閖上○丁目」となっているところが町区で、小塚原・大曲・高柳・牛野などは陸区に位置づけられる。町区のなかは、さらに町に...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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