宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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写真2 かくれ里の畑
[御崎神社について]
早馬神社と同様にハママツリ、ハマバライを執り行なってきた、外洋に面した浜を担当しているため、とくにハママツリを執り行なう浜の順序については決まりはない。予祝儀礼であるハママツリは2月から3月にかけて執り行なわれるが、平成23年3月11日以前にはすべての浜でハママツリが終了していた。今年も...
その他
・船に乗る人は、妊娠している女性が船に乗ったりするのを嫌う。他にも色々な決まりや験担ぎがある。そういうのは迷信だと言って気にしない人もいるが、実際に悪いことがおこったりする。 ・年祝いは合同で行っていた。 ・寄磯では、子どもが「大黒様」をする。でも、今は女の子が多いようで、女の子の参加も許...
大般若巡行と春祈祷について
1月8日の大般若の行列は、和尚が先頭で長い白ひげのようなものを持ち、次に三方に米や刀を乗せたものを男達が白の手袋を着けて運ぶ。経を運ぶ人達はとてもそれが重いため、肩にタオルなどを当てて歩く。男は5時頃に集まり、着物を尻はしょりにして歩く。尻はしょりとは、着物の裾をまくって帯の上から挟み込...
調査状況
北上川右岸、福地付近河川敷で熊谷産業の社員男女2名によるカヤの刈取り作業をしているのを目撃、作業を見させてもらう。男性社員が発動機付き刈取り機を用い、女性社員がこれを束ねる作業中。
写真1 三熊野神社境内
旦那寺
旦那寺は家ごとに違う。原でまとまってはいない。話者家は、もともと鍋沼の専能寺(浄土真宗)の檀家だったが、昭和48年に宝国寺(臨済宗)に移した。墓石も移した。宗派が変わったため、法名も半分変えた。専能寺までは、歩いて行くと半日もかかり、不便だった。
寒風沢区長への聞き取り
震災があった2011年の施餓鬼は松林寺のお堂で行ったが、今年は海際で行うことができた。この島は3名の津波被害者を出していることもあり、今年は本来の形に近い形式で行いたいという思いはあった。 例年であれば、燈籠を寒風沢側の岸と、対岸の野々島の岸に飾りつける。色紙をつけて、赤と紫にする。昔...
シジミ
汽水域である釜谷付近は、特に淡水と海水の混じり方が絶妙で、以前はシジミがよく獲れた。裸足で川へ入ると足の裏が痛いほど沢山シジミがいたが、かなりその数が減っていた。釜谷以外では、手で扱うジョレンを使ってシジミを獲るのが普通だろうが、釜谷では船でトロール式の大型ジョレンで一気に獲っていた。近...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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