宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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八雲神社総代会と祭典
神社の近隣住民で構成されている。現在の構成員の人数は16名。総代会の役割は祭礼当日のみに限らず、事前にオサガリのオヤドとなっている家に案内を出したり、祭礼の前日に行われる前夜祭(後述)の運営もおこなう。また、案内することは「オツキアイ」と呼ばれている。 総代会16名の内訳であるが、「総...
昭和30年前後の海や田畑の生態系と暮らし(話者②③)
月夜ガニという小さなカニを、月の出ている晩に、たいまつをもって浜に行き、カニをとりバケツに入れて持ち帰った。甲羅もやわらかいので、つぶしてカニみそにした。また、ボウフという植物も採れた。これはスミソなどにして茎を食べる。今は高級料亭の味になってしまったが、昔はたくさんとれた。また、海岸の...
個人家屋のなかの神楽
祭典全体に親友会が関わるようになった。それまではCTさんの自宅でしかやらなかったのが、町でやるようになった。CTさんによれば自分は小さい頃から家でみていたものだったからよく知っていた。町でやるようになったので楽しかったことを覚えているという。 CTさんの実家では、月に2回、15日と25...
氏子の範囲
八重垣神社の氏子の範囲は、笠野地区、新浜地区である。震災前は300世帯ほどいたが、今回の震災で90名が亡くなってしまった。無事だった方も、今では仮設住宅などに暮らしており、どこに行ったか把握できていない人もいるという。市は、今回の東日本大震災により、笠野・新浜地区での住宅の新築を禁止する...
五人組、隣組
北釜の各家では、近所の5軒ほどの家で組む五人組と、五人組の範囲を超えて10軒ほどで組むトナリグミ(隣組)を組織した。北釜は10の隣組に分かれており、隣組のことを班とも言う。五人組や隣組は主に葬式の相互扶助を行った。 葬式の手伝いには、棺を担ぐひと2人、墓穴の穴掘り2人の計4人が必要であ...
写真1 一本松が流された小島
シビ・カツオ漁と大漁祝い込み唄
閖上ではカレイ漁が盛んであった。塩釜、石巻、気仙沼などの港にも水揚げをした。カレイには夏期の産卵期が禁漁期間とされていため、夏になると「船を切り上げ」て漁を休み、船の掃除や修理を行った。 しかし大きな船を2艘持っている船主は、カレイの禁漁期間にシビ(マグロの若魚)やカツオを狙う漁に出る...
「西」家について
三浦出羽守半兵衛(みうらでわのかみはんべい)ってね、石にかかってんです。 その人が大阪夏の陣にいった人だっていうことだけどね、なんかサムライ大将でね。慶長年間の墓石っていうのは丸っこいんです。30センチぐらいの大きさかな。まん丸いやつでね。それがあのお墓にはあんですけどね。地福寺っつう...
写真1 帳面類の中に残された、萩原神社例祭の供物についてのメモ
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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