宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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V 石巻市河北町釜谷地区
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写真4 早稲谷鹿踊り伝承館における山の神神社祭典後の直会(2008年)
話者情報
話者家は、津龍院の過去帳によると、少なくとも230年前から浜市に住んでいる。話者は石巻で被災し、震災後2日目の3月12日は浜市小学校の体育館で過ごし、その後東松島高校へと避難所を移った。避難所は床下がコンクリートで非常に寒く、また足も伸ばせないほど多くの人が避難していた。話者は心臓が悪く...
祭りについて(役員4人からの聞き取り)
もともとこの祭りは旧2月11日に行われていたそうだ。その後、4月11日(新暦)に代わり、それからまた日を変えて5月3日に行うようにしているという。その理由を尋ねてみると、人が集まらないことが挙げられていた。特に、モチをまく時に子どもたちがいないと拾う人もいないから、ということで子どもたち...
震災のこと
地震の時は仙台で配達中で、8階からエレベーターで降りる時だった。これはただ事ではないと思い、急いで自宅に戻って、母を2階に連れて行ったところで津波が来た。自宅の周辺で1メートル50ほどの津波が来た。押し流された自動車が店のガラス戸を壊し、店が浸水して商品も全部ダメになった。オシャカになっ...
被災とその後
寺に関しては被災の前後で変化はない。本堂は道路よりかなり高くなっており、津波は階段の下で止まった。 寺の裏の末の松山は避難場所になった。おじいさん、おばあさんからの言い伝えになっており、三陸沖地震の時にも避難場所になった(2011年4月7日の大きな余震や2012年12月の津波警報の際に...
写真3 神輿渡御
被災住宅での盆
話者の自宅は、津波をかぶったものの、全壊は免れたため、建物は取り壊さずにそのまま残してある。1階の壁面には津波の痕跡が生々しく残っている。 この住宅の家族は、現在、仮設住宅で暮らしているが、2階は、津波にのまれなかったため物置のようにして使っている。 また、この住宅の仏壇は、津波にの...
祭典の時の神楽
神輿のある天神社は高台の山にあった。まずはカミサマを降ろして、神輿を降ろす。その時に奉納神楽をやった。このときには特に秘密ではなく誰でも見ることは可能だった。その後神輿を担いで中浜地区の集落を回った。生活センターや集会所の前にさしかかると、神輿を地面に下ろして神楽を舞う。中浜地区の住民、...
講
コバハラサンへの代参講が30~40年前ぐらいまではあった。1か月にいくらか決まった金額を積み立てる。その他に月山参りなどもした。女性だけで信心する山の神があり、小牛田の山神社に行き、安産祈願などを行う。これは現在でも行われている。
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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