宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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社会組織
現在集落の人口は80人ぐらいだが、実際には住所だけ新山浜において他所(例えば鮎川など)で生活している人も多く、実際暮らしているのは50人弱ほど。特に、小学生や中学生が少なく、今では中学生も2人しかいない。昔は……老人会、婦人会、実業団(青年団?)があったが今はない。それらがあったころには...
写真2 仮設をまわる様子
残したい習慣 :唄い
残したいのは契約講の集まりなどであるが、難しいのでは。むしろ孫の代に残したいのは大蔵流の唄いを残したい。戦前は青年のひとつのよい趣味であった。家元は阿部家の者へ、6-7人の若者が集まって、正月から20日間夜に毎晩習った。前の晩に習ったものを翌日さらって、新しい節をならった。19才ころから...
個人家屋のなかの神楽
祭典全体に親友会が関わるようになった。それまではCTさんの自宅でしかやらなかったのが、町でやるようになった。CTさんによれば自分は小さい頃から家でみていたものだったからよく知っていた。町でやるようになったので楽しかったことを覚えているという。 CTさんの実家では、月に2回、15日と25...
お賽銭の中身
(神輿渡御の際には、いっしょにお賽銭箱も仮設住宅を回った。その際、住民の方はご祝儀袋に現金を入れて出すことが多かったが、中には、米や酒を入れる人が今回もいたことについて)かつては、ずっとお米で、各家が1升くらい出していた。今でこそ車で移動するが、かつては担いで回っていたので担ぎ手が軽いほ...
小網倉
1月2日初兎の日に神明社のお祭りがある。 また、旧暦の6月14日頃に夏祭があり、神社のみで神事を行う。前夜祭は行う。 昔神楽をやっていた。牡鹿地区では唯一自前の神楽をもっていた。昭和50年ころまでは小網倉分校跡地でやっていたが、その後下火になっていった。たまにくじら祭で舞ったりしてい...
写真1 植樹祭を待つ話者ら
夏行事について
コミュニティセンターの前に、やぐらを立てて盆踊りをする。盆踊りは20年以上前からやっていたが、今回はなし。盆踊りの翌日に灯篭流しが行われる。灯篭は、支柱部分とバラの色紙を各家に渡して作ってもらっていた。16日の夕方に浜に持ってきてもらって、青年部が船を出して防波堤にまで持っていて置いてお...
閖上浜の漁業
二艘曳きと真祝い 閖上では、カレイビキ(カレイ曳き、カレイ漁のこと)とニソウビキ(二艘曳き、大型の船2艘と小型船による漁のこと)が行われていた。カレイが禁漁期になる夏になると、二艘曳きで巾着網によるカツオ、シビ漁が行われた。 二艘曳きは大きな2艘の船が中心であり、それはカツオやシビの群...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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