宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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日待ちとオヨウカについて
日待ちのうち自宅からお膳を持参するのは、1月のオヨウカ前夜の日待ち、2月のオヨウカ当日朝の日待ちである。1月のオヨウカで、持参のお膳のほかに出されるのは、停前の妻たちによるお茶くらいである。日待ちの後は、釜谷の下側、寺から巡行が始まる。2月のオヨウカは、娘の時代にお膳持参から仕出しへ変わ...
小網倉
1月2日初兎の日に神明社のお祭りがある。 また、旧暦の6月14日頃に夏祭があり、神社のみで神事を行う。前夜祭は行う。 昔神楽をやっていた。牡鹿地区では唯一自前の神楽をもっていた。昭和50年ころまでは小網倉分校跡地でやっていたが、その後下火になっていった。たまにくじら祭で舞ったりしてい...
初午について
2月10日に午の日があたった年は、春祈祷でなく初午の行事をする。カレンダー上、15~17年ごとに2年連続であたることになる。初午をする年は、上中下からそれぞれ1人ずつ、結婚して間も無い新人講員を出す。午前10時頃に上の石碑のところへ集まり、神職が祈祷をする。3人の若者は褌一丁の格好、それ...
神社および祭祀とムラの関係
旧暦の9月15日に祭り。祭りは大して大きくない。阿弥陀如来と八幡神社と合祀している。御神輿はない。氏子が前の夜に集まるのは「オヨゴモリ」という。子供はまったく関係ない。祭りには家の主人が行き、ご馳走を持って帰ることもある。普通の町の寄り合いに近い。どちらかと言えば、気楽にいろいろな話をす...
契約講と自治会の権力
かつては契約講の総裁・講長といえば若い者には怖れられ、肩で風切って歩くような偉いものだった。契約講の担う仕事に墓地の管理がある。 墓地については毎年8月2日8時よりの大掃除・草刈を契約講が取り仕切る。契約講幹部や約1週間前からこの段取りを進める。 しかし釜谷に自治会役員として7人の部...
地蔵講
地蔵講は宮内と一緒に行っている。地蔵はもともと、仙台の大崎八幡あたりの石屋に作ってもらったもの。昔は国道45号線の三叉路の真ん中に地蔵があった。それを終戦後、アメリカ兵が、地蔵の手元に鐘の彫ってあるのを珍しがって、苦竹の今の自衛隊基地に持ち運んだ。兵舎に残されていたという。削り取られたら...
まえがき
われわれは本プロジェクトの調査に先立ち、2012年7月13日~16日、および8月5日~9日に現地調査を実施した。「被災地学生・大学院生に対するフィールドワークと記録・保存のスキル移転」(平成24年度神戸大学震災復興支援・災害科学研究推進活動サポート経費採択事業、代表者岡田浩樹)によるもの...
塩採り(製塩)
終戦から10年間、塩採りが行なわれた。北釜の住民が庭先で塩採りの作業をした。また、他集落(館腰など)からやってきて北釜で土地を借りて作業をする人もいた。あるいは、北釜で海水を汲み自分の集落にかついで持っていって塩採りする人もあった。 塩は、海水を煮詰めてつくるが、その際の釜は、平たい釜...
その他の被災の影響
神社も地震の揺れでかなり壊れた。その修理を申請したが、市ではとても対応しきれないので県の管轄になると言われた。それで区長として県にも掛け合ったが、いつになったらここまで手が回るかはわからない。でもボランティアの人たちがかなり頑張って石段等は使えるまでにしてくれた。 最近はわかめの加工で...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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