C-1 岩沼市寺島寺島地区

2011
C-1 岩沼市寺島寺島地区
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[調査日]2011 年 12 月 21 日(水)

[報告者]
滝澤克彦 
[調査者]
滝澤克彦 
[補助調査者]
兼城糸絵 
[話者]
(1)C023農業/元電気屋(1927年生れ - 男) 
被災状況

 大字寺島のうち、蒲崎は震災前に大体128軒ぐらいあり、そのうち60~70軒が津波によって流された。50軒は解体され、13軒が残っただけである。新浜は30軒ぐらいあったが、現在もとの家に住んでいるのは2軒のみ。寺島は死者を出さなかったが、蒲崎と新浜はそれぞれ10数人亡くなった。寺島地区の42、3世帯のうち半数が仮設に入っている。
 地震直後、寺島では、消防団長を努めていた話者の息子を含め消防団が中心となって避難を促していた。話者は、阿武隈川の堤防に上って津波の難を逃れることができた。見たことも無い大きな波が襲ってきて本当に恐ろしかったという。辺りは瓦礫が6尺の高さで積み上がり、家も1階部分が浸水し瓦礫などでめちゃくちゃな状態になっていた。母屋の建物自体は持ちこたえたものの、海側の作業場は全壊した。ボランティアの人たちに自宅のガレキや床下のノロ(泥)をかきだしてもらった。ボランティアの人たちには本当に感謝している。
 壁を張り替え、箪笥を取り出して塗り直し、ふすまのガラスを付け直し、床を張り換え、もう一度住める状態になった。最近になってやっと住み始めた。農機具や車も水につかって壊れた。買って500kmも走っていない車が流された。避難時には、その車を取りに戻ろうとしたが止められた。息子が農機具の一級整備工だったので、農機具の修理をしてくれた。
 南浜中央病院は2階ぐらいまで水に浸かっていた。そこでは1,000人ぐらいの人(看護士と入院患者)が残っていて、看護士が1人と売店の人2人が亡くなったようだ。1,000人分の食糧支援を求められた。仙台の富沢の知り合いのところから買ってきた米で300人分のおにぎりを作ってもっていったら、1つのおにぎりを3人で分け合って食べていたらしい。おにぎりをもって行くときには船を漕いで行った。

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