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C-1 岩沼市寺島寺島地区
2011
C-1 岩沼市寺島寺島地区
(PDF)
[調査日]
2011 年 12 月 21 日(水)
[報告者]
滝澤克彦
[調査者]
滝澤克彦
[補助調査者]
兼城糸絵
[話者]
(1)C023農業/元電気屋(1927年生れ - 男)
写真1 拝殿が倒壊した日月堂
タグ
震災後
信仰
震災
関連URL
この話者の他の調査ノート
C023農業/元電気屋
2012
C-1 岩沼市寺島地区寺島集落
(PDF)
関連カード
地区
話者について
農業をする傍ら、副業として60代頃までの23年間電気屋をしていた。50代の頃に区長代理を務めた経験あり。その他にも民生委員、農協幹事、交通指導員などを務めてきた。また、趣味で狩猟を50年ほどやってきた(キジ・ハト・カモなど)。息子が、亘理で整備工、農協の支部長や監事、消防団長なども務めて...
部落の概要と社会組織
大字寺島には寺島・蒲崎・新浜という3つの部落があり、それぞれに契約会がある。公会堂もそれぞれ別にもっている。行政区の蒲崎はさらに北と南に分かれるため、区長は蒲崎に2人、寺島と新浜にそれぞれ1人ずつとなる。各地区の役員が集まる大字寺島全体の役員会が年2回開催される。かつては玉浦小学校の寺島...
日月堂
大字寺島のなかでも寺島部落は日月堂、蒲崎と新浜は湊神社を祀っている。日月堂の拝殿が震災により倒壊してしまったのでいまでは解体してしまった。また、鳥居と旗竿があったが地震(振動)により壊れてしまった。祭神は日天月天であるといい、八幡旗が昔あったのでそれがご神体だったのではないかと思う。 ...
講
コバハラサンへの代参講が30~40年前ぐらいまではあった。1か月にいくらか決まった金額を積み立てる。その他に月山参りなどもした。女性だけで信心する山の神があり、小牛田の山神社に行き、安産祈願などを行う。これは現在でも行われている。
寺院
寺島部落は、ほとんどが高林寺の檀家であり、うち23軒ほどが専光寺にハカショをもっている。ハカショとは、専光寺に墓をもっているということだけであって、檀那寺は高林寺ということになる。
部落のお祭
3月1日と11月の何日かに祭がある。それぞれの家庭で行う。エンナカの人たちが皆やってきて、魚料理や御馳走を作って楽しむ。これは村落単位ではなく、各家庭それぞれが行うものである。かつては旧暦で行っていたが、今は新暦で行う。
被災状況
大字寺島のうち、蒲崎は震災前に大体128軒ぐらいあり、そのうち60~70軒が津波によって流された。50軒は解体され、13軒が残っただけである。新浜は30軒ぐらいあったが、現在もとの家に住んでいるのは2軒のみ。寺島は死者を出さなかったが、蒲崎と新浜はそれぞれ10数人亡くなった。寺島地区の4...
写真1 拝殿が倒壊した日月堂
話者について
50年ぐらい花卉農業をしていた。300坪の農地で、温室も利用し、チューリップ、パンジー、カーネーション、デイジーなどを栽培する。近所の人を雇い、仙台市へ卸していた。地震により温室は全てだめになり、倒壊したままになっている。ちょうどチューリップ1万本を育てているときだった。また、母の日へ向...
新浜部落について
新浜はもともと阿武隈川の川沿い、堤防の河川側にあった。昭和16年の河川改修工事によって現在の場所(一部は海沿い)へ移ってきた。話者家はもともと川の中にあった島に住んでいた。伊達藩の倉庫だったという。その倉を「納屋」と呼び、左側には塩を右側には鮭を保管していた。その島に住んでいた2軒は、江...
キーワード
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
被災後の中浜神楽の現状について
中浜神楽とは、中浜の浜の方のつまり坂元の南の地区で行われる神楽。この地域はすべての住宅が流出した。その結果、集会所に保管していた神楽の道具類も流出してしまった。現時点で、道具類は見つかっていない。 踊りの保存会のメンバーはばらばらになってしまった。残っている人はいない。地元から離れてい...
祭典の時の神楽
神輿のある天神社は高台の山にあった。まずはカミサマを降ろして、神輿を降ろす。その時に奉納神楽をやった。このときには特に秘密ではなく誰でも見ることは可能だった。その後神輿を担いで中浜地区の集落を回った。生活センターや集会所の前にさしかかると、神輿を地面に下ろして神楽を舞う。中浜地区の住民、...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
写真1 正面から見た八重垣神社跡
写真2 正面右に集められた神社残骸
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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