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R-1 南三陸町歌津中野地区
2011
R-1 南三陸町歌津中野地区
(PDF)
[調査日]
2011 年 12 月 21 日(水)
[報告者]
林勲男
[調査者]
林勲男
[補助調査者]
[話者]
(1)R124船大工(1928年生れ - 男)
写真1 櫂を作る話者
タグ
震災後
話者/家
生業
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地区
船大工としての修業
船大工の父親の仕事の様子を子供のころから遊びながら、時には手伝いながら見てきたので、作業の順序は頭の中に入っていた。早波(さっぱ)船の作り方は、20歳頃に泊のA氏のもとで住み込みの修業で学んだ。父親は船外機を取り付ける仕方を知らなかったが、A氏が船外機を取り付ける作業を行ったので、自分は...
合木(かっこ)船
父親が作っていたのは、丸太をくりぬいた底板で造る「合木(かっこ)舟」で、岩場での漁業に向いており、岩にぶつかっても多少のことでは壊れない頑丈なものだった。多賀城市にある県立博物館(東北歴史博物館)に収められている合木船は渡辺栄さん(没)が作ったとされているが、自分も手伝っている。合木船は...
災害後の船造り
今回の災害前は、造船に執念を燃やす人も周囲に少なくなり、自分も年をとってきたのでしばらく休んでいた。これまでにおよそ300隻の0.5-5トンの木造和船を作ってきた。この津波で、自分の船(0.7トン)が流されてしまった。沿岸のそれぞれの漁協でも多くの船が流されてしまい、すぐには揃わないだろ...
写真1 櫂を作る話者
寄木の被害状況
47軒あったが、そのうち35軒が流された。寄木にも9世帯の仮設住宅があるが、他地域に建設された仮設住宅にも寄木から入居しているので、現在、住民はバラバラになってしまった状態である。90歳代の男性1名が亡くなり、80歳代の女性が行方不明のままである。 契約会が所有する高台の土地に寄木から...
「ささよ」への影響
子供が自宅に持ち帰っていた法被3着のみが無事だったが、他のものはすべて津波で流されてしまった。ささよは年中行事であり、海上安全と大漁を祈願するものであるので、継承のためにも中止すべきでないと、2011年の12月に翌月の開催を決定した。しかし、時期的に法被が店で手に入りにくかった。すると、...
2013(平成25)年の行事の様子
1月15日、年中行事である「ささよ」に先立って、午後2時50分に寄木浜の港で「ささよ太鼓」の演奏が始まった。ささよ保存会会長の畠山鉄雄氏が進行役を務めた。 大勢の報道関係者に少し戸惑いながらも、子供たち13名(男6、女7)は元気な掛け声を出しながら2回のささよ太鼓の演奏をおこない、集ま...
ささよの唄
明治末期頃までは、その年の年長者が唄い、そのあとに続いて囃して各家々に唄いこんだが、その後に元唄をなくし、囃しのところだけで唄いこみをおこなっていた。昭和23年に、畠山吉雄氏が新たに作詞をして現在まで唄い継がれている。昭和55年(1980)に旧歌津町の無形文化財の指定を受け、ささよ保存会...
写真1 ささよ行事①ささよ太鼓
写真2 ささよ行事②
キーワード
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
中浜神楽保存会について
保存会は30年前ぐらいに関わり始めた。その頃はいろいろな地区で神楽が復興し始めた時期だった。 おおよそ35~40年前に青年の集いや青年文化会で郷土芸能を舞うようになり、他の地区から代表が集まり青年大会が催されていた。その時期に神楽が復興されるようになり、各地区の芸能が復活し始めた。中浜...
親友会について
自分が若い頃、祭の神輿を担ぐ人が祭に携わらなくなり、祭も神楽も行われていない時期が5~6年間あった。地区に青年はいたが、労働形態が農作業から「務め仕事」に変わるなどの社会情勢の変化から、祭だけでなく様々な行事も行われなくなった。 そのときに、「親友会」がたちあがった。青年会は、中学を卒...
神楽の演目
中浜神楽は12の演目があったが、このうちの11の演目を引き継いでやっていた。 (1) 剣舞:矛の剣のおどり(2人) (2) 八幡舞:弓をもっておどる(2人) (3) 幣束舞【ヘイソクマイ】:幣束をもって踊る(2人) (4) 鯛釣り舞(別名:恵比寿舞):つり竿をもって鯛を釣り上げる仕草をす...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
学校と神楽保存会
7-8年ぐらい前になるが、小学校から相談があった。郷土のものとしてふさわしいものを伝承したい。これは学校の授業のなかに取り込むためで、創作でも何でもいいが、せっかく伝承するならよりふさわしいものをということだったようだ。このような学校教育への神楽の採用は、20年前にも1-2度あり、その時...
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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