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八雲神社は、いわゆる上鹿折地区(気仙沼市上東側245)に鎮座する。祭神は素戔嗚命。伝承によれば、暦応4年(1341)。(南北朝時代の北朝の元号を用いている点に注意)、刈屋源四郎なる人物が、疫病退散祈願のために尾州津島牛頭天王の分霊を勧請したものとされる。祭典日は旧暦の6月14、15日。
旧鹿折村の神社は八雲神社も含めすべて明治39年(1906)12月の明治の神社合祀令(勅令)の際に村社である鹿折八幡神社に合祀された(ただし正式な合祀手続きが書き上げなどのかたちで確認できるものとできないものがあり、現在のところ八雲神社の場合確認できていない。)。上鹿折地区の住民が現在、鹿折八幡神社の氏子であるとの認識を持っており、4年に一度のトーメー(当前)の際には神輿の陸尺を担当していることもその事実を裏づける。上鹿折にも「白山(はくさん)太鼓」という打ち囃子があるが、伝承者は少なく、より有名な「中才打ち囃子」の伝承に一役買っていることが多い。鹿折八幡神社のトーメーでは、東・西中才として陸尺を担当する。上鹿折の住人は、4年に一度の鹿折八幡のオサガリにおけるトーメーのほかに、毎年八雲神社(オテンノウサマ(お天王さま))のオサガリの陸尺も担当する。このことは近隣の中才でもあまり知られていない。宮司は代々羽黒修験の齋藤家(屋号は東(ひがし))が担当していたが、血脈が絶え、現在ではその系統を継承する鹿折八幡宮司が兼務している(ちなみに現在では三ノ浜(鶴ヶ浦)の御嶽神社も含め旧鹿折村全神社小祠の祭典は同宮司が兼任している)。
八雲神社のオサガリ時の御旅所(オヤド)は、鹿折八幡神社とかなり重複しているが、若干異なっている。これは慎重に分析する必要があるが、上鹿折がかつて金山で栄えたという歴史的経緯から考えると、金山の衰退に伴って商業に活路を見出すべく埋め立てられた新興地域に移住していった人々がもともとの氏神である八雲神社の神輿巡幸を望んだものではないかと推測される。
なお、2011年3月11日の東日本大震災後、上鹿折は津波の犠牲者の緊急避難場所としての役割を担ったほか、当座の食料の供給にも重要な役割を果たした。主立った氏子たちは直接の被災はしていないものの、鹿折八幡神社オサガリ同様、オサガリの経路に当たるオヤド(とくに町場の新しい家)が深刻な津波の被害に見舞われたため、現在のところ、オサガリを再開する目途は立っていない。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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