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V-1 石巻市釜谷地区釜谷集落
2012
V-1 石巻市釜谷地区釜谷集落
(PDF)
[調査日]
2012 年 9 月 29 日(土)
[報告者]
岡山卓矢
[調査者]
岡山卓矢
[補助調査者]
土佐美菜実
[話者]
(1)V166旧釜谷集落住民(1959年生れ - 男)
写真1 排水中の北上川河口
タグ
震災後
震災
関連URL
この話者の他の調査ノート
V166旧釜谷集落住民
2012
V-7 石巻市釜谷地区釜谷集落
(PDF)
関連カード
地区
話者について
話者は元自衛隊員で、市ヶ谷・仙台・新宿などで勤務後、10年前に退職して釜谷に帰ってきた。
仮設住宅
釜谷からは三反走の仮設へ移った人が多く、100戸前後あるうちの3分の1くらいの家がそこへ入ったのでないかと思う。三反走には、ほかに長面・尾崎・北上の人が住んでいる。ただし長面の人は少なく、大半は追波川某公園の仮設にいる。追波川某公園には雄勝の人も多い。
釜谷地区の概要
釜谷では長面や雄勝の寺の檀徒も多く、全戸が観音寺の檀家というわけでない。釜谷のメインストリートを、大川小学校近辺より海側に向かって、上・中・下(カミナカシモ)と区分けされている。入釜谷は現在は行政区が一緒で、はたから見れば同じ地区と思えるかもしれないが、部落としては別である。谷地中は10...
被災状況・その他
大川小学校の中へ入ると、1階天井は全て抜け、2階床が盛り上がっているので、波のあとだろう。 釜谷の農業用溜池からはもっとも多くの遺体が見つかった。もとの奥入屋敷への細道にある溜池のポンプ小屋は、釜谷で唯一残った建物である。雨風でかなり薄れたが、小屋の外壁には水位あとが付いているし、床に...
写真1 排水中の北上川河口
写真2 釜谷溜池ポンプ小屋
調査の場について
北上大橋より雄勝方面へ向かい、釜谷―入釜谷の中間付近に建つ観音寺仮設本堂にて調査する。
釜谷地区について
釜谷は大川小学校付近の上(カミ)から海側に向かって中(ナカ)・下(シモ)と区分されている。釜谷は大川の村都のようなところである。雄勝方面・北上方面ともに町場が遠く、陸の孤島であった。大川村の役場が置かれ、合併後も登記所としてしばらく残った。昭和30年代中頃にはすでに登記所としても使われな...
釜谷と入釜谷の関係
行政区としては1つの釜谷地区だが、部落としては釜谷と入釜谷は元は別であった。 元々は両地区の区別は無く、昭和8年(1933)頃までは観音寺の大般若行事が廻る範囲に入釜谷も含まれていた。しかし昭和8~10年頃に、国有林の払下げに関して入釜谷が釜谷抜きで権利を得たことから、山が無く困った釜...
シンルイ
釜谷・入釜谷には高橋姓・武山姓が多い。特に入釜谷では武山のシンルイが多い。武山本家の母屋は20年ほど前に改築したが、その時の大工の見立てでは築650年ほどだったという。武山本家は、敷地内の土の良いところへ30基ほどの古墓を持っていた。屋敷の中に墓があるというのは古い家の証拠だが、武山のシ...
キーワード
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
被災後の中浜神楽の現状について
中浜神楽とは、中浜の浜の方のつまり坂元の南の地区で行われる神楽。この地域はすべての住宅が流出した。その結果、集会所に保管していた神楽の道具類も流出してしまった。現時点で、道具類は見つかっていない。 踊りの保存会のメンバーはばらばらになってしまった。残っている人はいない。地元から離れてい...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
写真1 正面から見た八重垣神社跡
写真2 正面右に集められた神社残骸
写真3 鳥居や石碑
写真4 小祠
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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