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行政区としては1つの釜谷地区だが、部落としては釜谷と入釜谷は元は別であった。
元々は両地区の区別は無く、昭和8年(1933)頃までは観音寺の大般若行事が廻る範囲に入釜谷も含まれていた。しかし昭和8~10年頃に、国有林の払下げに関して入釜谷が釜谷抜きで権利を得たことから、山が無く困った釜谷の訴えで裁判沙汰となった。以降数年に渡り両地区の関係は悪化、大般若行事が入釜谷を廻らなくなるなど両地区で各種行事が分かれることとなった。しかし人口が釜谷に比べ少ない入釜谷では次第に裁判費用が続かなくなり、「金ないし、戻っぺ」との声が挙がって釜谷に敗訴することを決めた。焚き物はそれ以降、釜谷の住民にも利用権が認められることとなった。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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