宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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出島の二大年中行事と「実業団」について
出島内の出島行政区と寺間行政区にはそれぞれ二大年中行事がある。正月の「獅子振り」と5月に催される神社の「祭典行事」である。
写真2 供物台と船いるのは星の玉
嫁いだ頃の話
昔の嫁は囲炉裏の木尻に座るものである。息子の嫁は、今日で4日目だが雄勝で養殖用の貝殻のなんだかの仕事へ出ている。昔の嫁は余計なことは何も話せないものだったが、今の時代は嫁を大事にしなければいけない。話者①が嫁に来た頃は、4歳違いと30歳違いのオバもいた。離婚して出戻り居ついた人達である。...
話者①について
尾崎出身である話者①は、昭和25年(1950)に結婚し釜谷へ嫁に来た。20歳になる年であったが、成人式前に嫁いだことを覚えている。夫とは、それまで青年団の活動で顔を知っていた程度の間柄だった。顔見知りとはいえ、そう親しい付き合いは無かった同士である。仲人の紹介で決まった縁談である。夫は5...
高台移転
一軒当たりの上限が100坪と決められているが、時期が終われば海の資材はすべて陸にあげて、保管しておかなければならないため、決して十分な広さではない。また、かなり臭いがするので住宅が密集しているところには置けない。したがって、海に近いこの土地(自宅跡)は、売らずに作業場とせざるを得ない。も...
宝国寺の由緒
このお寺は宗派が変わったり、開山が何人もいたり、正確にはわからないこともいろいろある。天童家が山形から八幡に入ってきた時にその菩提寺となり、天台宗から臨済宗(妙心寺派)に改宗する。寺号も林松寺から今の宝国寺に変更される。寺号変更の際の文書が残っている。 話者は昭和28年生まれ、高校まで...
避難所について
震災の時、この分館に初日200人がきて、その後2ヵ月のあいだ、避難所となっていた。人数は徐々に減っていったが、それでも、80人ほどが避難していた。 吉田浜では、水の調達など、外からのボランティアは断っていた。地元で吉田浜ボランティアクラブ(YVC)が結成され、話者の奥さんも主要な仕事に...
月浜の主要産業について
話者は、海苔養殖業と民宿経営を行っており、これは震災以前の月浜に最もよく見られた生業形態であった。また民宿経営をしている家では、多くが別の複合的な漁業にも従事していたという。以下は、話者の認識による月浜での典型的な漁業形態である。 春:アサリ取り(観光潮干狩り含む)、刺し網、定置網(壺...
集団移転
復興団地へは基本的に部落ごとに集まることになっている。しかし、必ずしもそうでなくてはならないというわけではない。
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