宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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「西」家について
三浦出羽守半兵衛(みうらでわのかみはんべい)ってね、石にかかってんです。 その人が大阪夏の陣にいった人だっていうことだけどね、なんかサムライ大将でね。慶長年間の墓石っていうのは丸っこいんです。30センチぐらいの大きさかな。まん丸いやつでね。それがあのお墓にはあんですけどね。地福寺っつう...
前夜祭:夕方~
八鳴神社 祈祷の準備が整うと、総代たちが、お供えを各自持って神社へと降りていく。ここで祈祷を行う。たき火は一晩中燃えているというが、今年は規模が小さいため夜なかには火が消えるだろうという。祈祷は氏子総代と、数名の参加者で行われた。 祈祷が終わると、女性たちがお団子と菊の花を指した花瓶を...
話者について
中沢遺跡の発掘現場での仕事が決まり、来週月曜から働く。
今年のえんずのわり行事について
これまで大将は中学生だったが、今回は小学生3人だけだった。今年は本当ならもう1人、小学1年生が入る予定だったが、震災で地区を離れてしまった。また、高校生の先輩たちも月浜の仮設にいなかった。そういったことで不安があったと思うが、本人たちは3人とも、行事をやりたいと言っていた。 今までは、...
学校の中の神楽
昨年度はこの時間を10時間とった。いろいろ工夫しながらやっている。以前は4年生以上だけだったが、3年生に繰り下げた。踊りの見せ方にしても、前の列にたつのは経験のある子ども、後ろは始めの子どもという風になっている。一昨年の秋の運動会で子ども神楽を発表できた。自分としてはこれで「復活できた」...
初午について
2月の5日と何日だかに午の日があたる年は、火事になるとか火が速いとか言われる。そういう年は火防せのために2月5日に初午(水かぶり)をする。本来は2月8日の春祈祷とは別の行事だったが、後に春祈祷に合併されたのでなかったかと思う。
年中行事など
話者家は八幡神社の氏子。なぜ田んぼの真ん中に神社あるのか、小さい頃は不思議だった。もともとはこの近くにあったらしい。八幡神社のお祭りで幟を立てるとき、手伝わされた覚えがある。ジイサンは八幡神社の流鏑馬も務めたらしいが、自分は見たことがない。流鏑馬の的も残っているという。今はF氏が氏子の取...
桂島の被災の概略生業への影響
桂島には10メートルの津波が押し寄せ、島の南北をつなぐ坂を2メートルの高さで乗り越えて、反対側に到達した。太平洋側に面した海水浴場の近隣の住宅地に大きな被害があり、約30戸の家屋が流出した。 区長本人は震災のとき家にいた。地震を感じてすぐに、これはただごとではないと思った。塩竈市の防災...
仮設住宅
話者は、下増田にある美田園第二住宅に居住。平成23年6月に入居。被災時は入院中だった。
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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