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話者家は八幡神社の氏子。なぜ田んぼの真ん中に神社あるのか、小さい頃は不思議だった。もともとはこの近くにあったらしい。八幡神社のお祭りで幟を立てるとき、手伝わされた覚えがある。ジイサンは八幡神社の流鏑馬も務めたらしいが、自分は見たことがない。流鏑馬の的も残っているという。今はF氏が氏子の取りまとめをして、寄付金などを集めている。神主はG氏。大きな家に住んでいる。神主さんとは呼ばずホウインさんと呼んでいる。八幡神社だけではなく、よその神社の神主も兼ねている。
喜太郎神社は、天童さんが八幡に落ち延びる時、道案内した人がキツネになったのを祀っているという。昔はお祭りがあったらしいが、今はない。人が変わってなくなったのだと思う。近所で工務店をしているH氏が管理している。
家の神棚は、昔はもっと大きかったのだが、建替えの際に縮めた。ご神体も寸法が合うよう作り直した。神棚には、天照大神、塩竃さん、愛宕さんのお札、事代主さんの絵像、恵比寿(大黒)像などが祀られている。注連縄は、正月前に縄は買ってきて、紙幣などを自分で付ける。年始は塩竃神社に行く。
宝国寺では数珠回しがあり、3、4メートルの数珠を回した。念仏講もあり、バアサン連中が十数人でやっている。ウチのババも鉦を叩いていた。お正月の頃、チャセゴと称して各家を回っていた。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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