宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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さかもと大好き鎮魂祭(第2回)
2012年11月17日夕方、坂元中学校において、地域住民有志(吉田和子実行委員長)による企画された「さかもと大好き鎮魂祭」(第2回)が開催された。このイベントでは、キャンドル・ジュンさんが代表を務める「loveforNIPPON」による演出で100本のロウソクがともるステージが整えられ、...
神社関係者との交流
被災地を見学する神社の支部の方はときどきやってくる(この日も姫路の団体が見学に来て話者の話をきいて帰って行った)。個人的にお参りがしたいと来る方もいる。神社関係のモノはその辺では手に入らないものが多いため、神社関係の人が「これ使うのでは」と持ってきてくれると、おさがりでもありがたい。そう...
写真2 火祭りのための薪
青年期の祭りへの参加
船は船頭の指図で動くので、祭りだからといって帰れるものではなかったが、偶然帰ってきていれば、参加した。ただし、自分は身体が大きくはないので、神輿担ぎはあまりしていない。おおべこうべを持ったり、塩まきをしたりといったほうが多かった。 御輿渡御の見所のひとつは、渡御のあと神社に戻す前に、担...
「奥の院」設立と現在抱える問題
父が亡くなった後、神主は仙台に住んでいた兄が戻ってきて継いだ。兄でなく、いつも父についていろいろ見聞きしていた自分(三男)が継いだ方がよい、という意見もあったが、やはり長男でなければならないということで兄が継いだ。後に、その兄が病気で余命が少ないとなった時、管理する人がいなくなるので、大...
初午について
2月の5日と何日だかに午の日があたる年は、火事になるとか火が速いとか言われる。そういう年は火防せのために2月5日に初午(水かぶり)をする。本来は2月8日の春祈祷とは別の行事だったが、後に春祈祷に合併されたのでなかったかと思う。
写真1 産業祭オープニングセレモニー
地域のようすと天童家
45号線から先は何もなかった。八幡神社がぽつんとあっただけ、その先に海軍工廠跡地があり、遊びに行って掘り返すと機関銃の部品などが出て来た。米軍機が海軍工廠を爆撃に来たことを母が語っていた。 この辺りは、宝国寺から土地が高くなって山になっている。住む家も昔からあまり変わっていない。海軍工...
話者情報
話者は、昭和13年、中谷地出身。戦前からの生業である農業に加えて、戦後新たに造園業を営んできた。平成3年から今年の9月10日に辞職するまで、多賀城市議員として市政に従事した。自身の生涯に深く関係している地域の歴史に精通している。 話者の母は、大正4年、利府市沢乙出身、16歳のときに嫁と...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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