宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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1960年代
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「カンナギ」の聖地
鼻節神社は、マンガやアニメにもなった「カンナギ」の舞台とされるようになった。「カンナギ」がラジオやテレビで放送されるようになってカンナギのファンが訪れるようになった。いわゆる「聖地巡礼」である。その後、仙台を中心にカンナギ町内会という組織が結成された。その代表は今は2代目に代わっている。...
中浜地区と中浜神楽の今後について
神楽は400年の歴史という伝統があるので震災後も続けなければいけないが、どうやって継承していくのかが問題である。自分自身も青年会のときにちょっとやっていたが、仕事で離れてしまった。Iさんの子どもは、神楽の経験があるが、現在は関わっていない。副会長のTKさんは、神楽保存会の継承活動に積極的...
震災前の行事の内容
正月:鏡餅を作る。それも家の分と船の神様(お舟玉)の分とそれぞれ作る。そして、それを盆の上に載せて神社へ行って礼をする。これは男性が行う。 獅子舞も正月に行われるもの。一昨年まではコミュニティセンターでやっていたが今年は浜に2人しか若者(男性)がいない。だから多分無理だろう。舞い手は男...
家屋田畑の回復
震災で傷んだ家屋の修繕はだいたい終わった。直したのは屋根と壁。屋根は台風の時も雨漏りしてたいへんだった。廊下はまだ直していない。 車がないと農作業に不便なので、軽トラを買った。とはいえ、一台で全部用足しするのは無理がある。トラクターは水をかぶったが部品交換してなんとか直った。 大場家...
おばあさんたちの畑づくり
波伝谷仮設住宅では、おばあさんたちがやることがなく、家にこもっていてはいけないので、震災前は畑仕事をやってきたことから、ここの自治会長を務めている話者が中心となって、野菜作りをはじめることになった。これは、2011年度からはじまった被災地復興関連の「農と福祉の連携によるシニア能力活用モデ...
彼岸と重なる祭典
以前は旧暦9月29日に行われていた石神社祭典ならびにコマツリだが、ギンザケ養殖やホタテ養殖が始まると、浜の仕事で忙しい時期に祭典が行われることになったため、祭典日を新暦9月29日にした。約10年まえのことであった。9月29日は秋のお彼岸の最終日に当たるため、朝は祭典を行い、夕方は彼岸供養...
話者家について
話者家は、もともと宮内の農家だった。屋号をヤマッコという。屋敷の裏に小山があったからだ。今でも近所では「ヤマッコの〇〇」で通る。田んぼは沖の原にあったが、後に海軍工廠用地として買収された。臨海鉄道が通っているあたりで、この鉄道は自衛隊までつながっていた。買収された後は、人から田を借りて話...
話者について
話者①は八重垣神社宮司。昨年のB-2などの話者と同一人物。話者②は話者①のイトコで町内にて電気メンテナンスの仕事をしている。父が営林所の仕事をしていて中国黒河に居住していたが、終戦時6歳で引き揚げた。それ以来山元町に住んでいる。話者③は話者①の姉の夫。山元町花釜地区出身。大学入学までは花...
土地の歴史記憶
津波被害が甚大だった寒風沢の南地区は、昔はにぎやかな場所だった。歴史を見れば開成丸(日本初の洋式軍艦として知られる船、1856年建造着工、寒風沢地区には造艦の碑が建てられている)が作られたのも南側だし、風呂や郵便を請けおうところもあった。現在の屋号の「湯屋」はその港町として栄えていた時代...
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