宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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被災した際の状況
地震発生時は神社の裏で作業をしていた。自身も消防団の一員だったので、津波に備えて、水門を閉めに向かった。神社が避難所になるので、その準備を始めた。波の上がる様子を見ていたが、明らかに今まで見た早さとは違っていた。神社にいた母と息子と一緒に家の裏に逃げ込んだ。嫁は、(嫁の)祖父の葬式のため...
写真2 網の方向など一年ぶりに思い出しながら飾り付けを行う。
お天王さま祭りについて
祭りには人がたくさん来る。宵祭には花火もあった。自分たちが小さいころは、暑いので途中で水浴びしたりしながら、線路伝いに歩いて祭りにやってきた。祭りでは、お神輿は海へ帰る。今はテレビなどがあるが、当時娯楽は何もなかったから本当に楽しみだった。
宵祭りの準備
農協青年部の人たちがノボリをたててくれた。10メートル近くある高いもの。御輿をおく台もつくっていた(これは神輿の廻る順路上に、お神輿を「休ませる」場所のこと)。以前は演芸大会もやっていた。舞台を組む作業である。最近は人手不足で行政区の班長にたのんで班でお願いするようになった。
各家でのお札貼りとどんと祭
昔はお札を正月14日まで貼り、15日にお焚きあげをした。今は一年中貼る人が増えた。年末の28日ころ、神棚のお掃除をして準備ができたら張り替える。貼る日について地域の皆さんがいうには、一夜飾りはよくないし、29日は9がつくからダメとかいろいろな理由でそうなっているようだ。 去年はどんと祭...
シシフリ
2月8日に近い日曜日に開催され、シシフリや春祈祷と呼ばれる行事である。これも以前は2月8日と定まっていたが、仕事勤めのある人が参加できるよう変更したもので、行事をオヨウカと呼ぶこともあった。大般若巡行が観音寺の行事であるのに対し、シシフリは神さんの行事である。このため日程変更も、稲荷神社...
調査に至る経緯
雄勝半島の集落を管轄する神社である石神社宮司を務め、大浜に居住する話者に、今回初めて調査に参加する補助調査者の2人を、主調査者から紹介してもらう。 昨年度は春祈祷をメインに調査したが、その際に被調査者より春祈祷のことだけではだめだ、女性にも話を聞けと指摘を受けたことから、今年度はA(O...
被災状況
不磷寺は、裏山を削って岩盤の上に建っているため、お墓が1基倒れただけで揺れによる被害はほとんどなかった。津波も駐車場までだった。「浪こさじとは」の古歌の通り、近隣住民は末の松山の高台に逃れた。 話者の妹が園長をしている桜木花園幼稚園は、2mの津波が直撃したが、2階は助かった。話者が園長...
話者の被災状況
話者は宮戸島で被災した。津波によって道路が遮断され、一時島は孤立状態にあった。震災後しばらくの間、避難所対応に追われた。文化財関係の仕事が出来るようになったのは、最近のことである。
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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