宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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褌の導入
お天王さま祭の写真が県政だよりの一面を飾ったことがあったが、それをみて塩釜と常陸那珂から参加したいと友達同士のお2人がやってきた。その方々が褌で参加するようになってから、担ぎ手の衣装が褌になった。それまではみな海パンだったが、2人の褌を見て、「お、かっこいいな」と。それでみんな褌をするよ...
話者について
中沢遺跡の発掘現場での仕事が決まり、来週月曜から働く。
地区内の班や組織について(話者①)
笠野地区には班が15あり、小さいものは10世帯、大きいもので22世帯ほど。地理的まとまりで構成されており、「隣組」ともいう。年に2回ほど、班で親睦会をした。特に210日あたりの時期に「ムラヒマツ(村日待ちの訛ったもの?)」といって親睦会をした。班長は2年交代。世帯の多い班では一年交代のと...
写真2 白装束に着替えた神主の CTさん
滝の山への避難経験
昭和33年の洪水のときなど、滝の山に避難した。それは9月の台風で、死者も出るようなものだった。消防団も助けにきたような記憶がある。戸花川の堤防決壊などは、昔はしょっちゅうあった。
夏祭りの装束について
町の指定文化財であった神社の建物はなくなってしまい、指定は解除された。それでもお天王さま祭りは有名なので、なんとか助けてくれるということで、指定はできないけれども、祭りを無形文化財と考える、と言ってもらえた。そのため、お神輿担ぐ際の装束などは援助してもらえるということで、助かっている。だ...
大原地区の概要
漁業を専業としている人が2人、その他に水産加工業、運転手、別の地域へ働きに行っている人がいた。専業農家は1、2人いて花を育てている。また、専業ではないが林業をやっている者もいる。昔はもっと漁師が多かったし、マグロも捕れた。今は水産加工業などが多い。牡鹿半島は浜ごとの文化が違うが、大原と小...
話者のライフヒストリー
話者は現在の閖上2丁目で、長女として生まれた。父親はトヨ丸の船主のもとで船頭をしていた。トヨ丸の船主は話者宅の向かい側に住んでいた。話者の上に兄がおり、彼は郵便局に勤めていた。話者の下には妹が2名いる。 話者は昭和16年に宮城県女子師範学校(昭和18年より宮城師範学校女子部となっている...
閖上大漁唄込み踊
閖上大漁唄込み踊は、歌4名、掛け声複数名、踊り約20名、船を引っ張る役2名によって成る。伴奏に尺八をするひともいたが、ほとんど伴奏はつけない。船は長さ1間くらいの大きさである。演者はハッピを着る。 歌は3種類(大漁唄、大漁唄込み、大漁祝い唄)があり、歌に合わせて踊る。歌の順序をあらかじ...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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