宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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1950年代
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1960年代
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1970年代
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話者性別
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新浜部落について
新浜はもともと阿武隈川の川沿い、堤防の河川側にあった。昭和16年の河川改修工事によって現在の場所(一部は海沿い)へ移ってきた。話者家はもともと川の中にあった島に住んでいた。伊達藩の倉庫だったという。その倉を「納屋」と呼び、左側には塩を右側には鮭を保管していた。その島に住んでいた2軒は、江...
話者①について
昭和7年12月に十八成で生まれる。鮎川で小学校=国民学校に通う。6年生で仙台に移動。5年間暮らす。学校に通うため。仙台では下宿していた。工業学校に行った。おやじが言うには当時は兵役がある。軍隊にいっても工学を学んでいれば最前線にいかなくいい、それで技術を学べということだった。本当は行きた...
キジラシマ(鎮守嶋)観音
K家の東側には、現在国道45号線から鎮守橋に抜ける道が通っているが、以前はK家の敷地であり、鎮守嶋観音(話者はキジラシマ観音と発音、チンジュガシマのことだと市史に記載された文字を示す)と池があった。K家の以前の小字が「鎮守」。鎮守嶋観音の番地が鎮守1、池の番地が鎮守2、K家の番地が鎮守3...
行事の流れ
行事は氏子青年会を中心にして行われた。まず、彼らは朝8時頃に鼻節神社に集合し、出発式を行ったという。調査者たちが9時頃に到着した時には、ちょうど神社から神馬を載せた軽トラックが出発するところであった。すぐにそこにいた青年会の方に挨拶をし、行列に同行させてもらうことになった。 行列は3台...
山の神講
山の神講のまつりでは、以前はおくずかけ、きんぴらごぼう、ホウレンソウのおひたし、漬物などを用意し、参拝者に振る舞っていた。しかし、若年の講員が食事の用意を倦厭したため、その後は寿司をとるようにした。現在は寿司をとることもやめ、神主に祈祷してもらったあとは、食事処のようなところに移動し、そ...
(参考1)寺間行政区のうたい文句(佐藤安夫さんご提供)
寺間行政区寺間獅子振りウタイモンク やれやれ 嬶様や嬶様や 秋の方からお丹打人が 二千八百人ばかり 春祈祷に参りました やよ これから祝いましょう オヤワー 日指すホ ホエー やよ この家の御家柄は やよ 目出度い御家柄で やよ 御年男は やよ 何処で御門松 やよ 奥の御山で やよ 千本...
部落と周辺の部落
幡谷地区は12の行政区であるが、7地区(部落)からなる。小ヶ谷、細山崎、新田、品井沼1、品井沼2、中通、上幡谷、くぬぎ台。明治10年には60戸、これが大半は伊達さま以来の家であるが、それが現在400戸になったのには、戦後、昭和27年に品井沼の干拓がはじまり、そこに人が移り住んできた。移り...
吉田浜の祭り
獅子舞は実行委員会が別にあり、話者は名義上の会長である。 祭り自体は、旧暦の3月17日と決まっている。今年は、4月7日に神社で本祭をおこない、8日に地区内の各家をまわる予定。 大きな獅子頭があるが、現在は修繕中である。かつての獅子は木製だったが、現在はプラスティックの本体に木の耳な...
写真1 開帳をするにあたって
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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