0件
震災の時、港の船のうち、5艘ほどが沖に避難した。津波が来たときには、ものすごい波が5、6回きた。ドーンとあがって垂直に落ちるような感じだと言う。昔の木造船ならもたないだろうが、いまはプスラティックなのでなんとかもった。
震災のあとに塩竈の方から、物資のはいったコンテナが流れてきた。船のなかで1泊しても、がれきだらけで港に戻れなかった。そこで、コンテナのなかからあふれてきたラーメンやらを拾って食べていた。ようやく、地区の裏側に回って船を浜につけて戻ってこれた。コンテナからはジンロ(酒)が百本以上も流れてきたという。そのかわりに各家にあったタンス預金も、全て流された。
鼻節神社は、少し高いところにあるため、津波の被害は受けなかったが、社務所はほぼ全壊し、石の灯籠なども倒壊した。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
ページトップ