宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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話者生年
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1950年代
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1960年代
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1970年代
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1980年代
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話者性別
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年中行事など
話者家は八幡神社の氏子。なぜ田んぼの真ん中に神社あるのか、小さい頃は不思議だった。もともとはこの近くにあったらしい。八幡神社のお祭りで幟を立てるとき、手伝わされた覚えがある。ジイサンは八幡神社の流鏑馬も務めたらしいが、自分は見たことがない。流鏑馬の的も残っているという。今はF氏が氏子の取...
大浜について
調査地となる石巻市雄勝町には全15の浜があり、それぞれ異なる気質をもつ。それぞれに、その浜の気質を表す言葉が存在し、たとえば大浜はオオギサシと他の浜の人間から言われる。これは威張っていることを表す言葉で、その他にも立浜ではジャンジャガネ(にぎやかな様子を表す)と呼ばれたりする。他の浜を揶...
笠野地区の民俗文化財について
現在の八重垣神社の総代長はAさんという方が務めている。八重垣神社は1200年祭を4、5年前に行った。話者②自身も仕事で文化財に関わったことがある。 笠野地区には笠浜甚句保存会がある。石投げ甚句といって、舟を出してホッキをとっていた。本当は資料があるはずだが、私のところにあった資料はすべ...
生業の変化と獅子舞いの衰退
大曲浜の獅子舞は、かつては(昭和30年代まで)休漁期の若者が正月の1月20日に行う行事として盛んに行われていた。正月の行事は家々でして、一呼吸置いての行事。家々を訪ね、振る舞いを受けながら、酒を飲みつつ、次の家へ向かう。人によってはそこで腰を落ち着けて飲むものもおり、入れ替わり立ち替わり...
震災後の虎舞
震災以降、初の虎舞は平成23年5月にサンディエゴから送られた千羽鶴の贈呈式に際して、寂しいので盛り上げるために虎舞の上演が依頼され最初の公演を行った。その後の6月には宮城県人会横浜支部からの要請があり、横浜でも虎舞が披露されている。支部長が保存会幹事長の後輩という縁があり、以前より要請は...
閖上大漁唄込み踊保存会の震災後の状況
保存会には震災以前、31名が所属していた。陸区に居住するひとも何人かはいたが、ほとんどが町区の住民で行っていた。保存会では震災により9名が亡くなった。震災前に保存会会長を替えようという話になっていて、B氏が就任するはずであったが、亡くなったため、話者が会長になった。 保存会では、今後の...
空港協議会
空港周辺の住民で空港協議会というものが組織されている。この組織で1年に1回、日本各地の空港周辺の視察に行っている。旅費は自己負担である。北釜の人たちは、「菜っ葉」づくりで景気がよくなっていたので、それで儲けた金でさかんに参加していた。秋田、山形、新潟、小松など全国をまわった。視察内容は、...
八幡神社宮司の系譜
鶴ヶ浦の両M家は、それぞれが本家だと主張している。 また西八幡前のN氏の家は「八幡寺」を名乗り、正月の幣(ぬさ)も3本別だてのもので、1軒だけ特殊なものである。初めは信用していなかったが、八幡神社の碑に「八幡寺」の記述があったので本当らしい、と考えるようになった。
契約講総会の開催と集団移転
契約講は当初休講ということになったが復活し、3月4日に契約講の総会が開催される。これは講長経験者で構成される顧問の数名が話している中で決まった。集団移転の話になる可能性もあるが、それならば区長より契約講の方が段取りもできるだろうということで開催されることになった。このまま進むと移転先の高...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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