宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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八幡神社の年中行事
年始には、以前は1月1日に元旦祭があったが、氏子、崇敬者が忙しいため、1月3日に新年祭へと変わった。新年祭には、氏子総代、八幡・桜木の区長、部落の代表など肩書きのある人が集まり、お祓いを受け、玉串を奉納する。 1月14日にはどんと祭、4月の第2日曜日に八幡神社の例大祭がある。春の例大祭...
物置小屋
家の道路沿いにあった物置小屋を昨年12月に潰した。潰す時、ホウインさん(八幡神社神主のB氏)に来てもらい、中と周囲をお祓いしてもらった。お祓いしてもらうと気分も良い。安心できる。大事なことだ。 物置小屋には味噌部屋もあった。3斗ぐらい入る(味噌などの)容器がたくさんあった。今回の震災を...
人形様
今年の人形様の実施については、16日に行われる総会で話し合って決める。やはり人がいなくなっているので今年は作ったりできる人が少ないのではないか。身内に不幸があった場合はお人形様を作ることができない。話者①もイトコがなくなっている。家のものではないから大丈夫と言えばだいじょうぶだが、嫌がる...
お天王さま祭りについて
祭りには人がたくさん来る。宵祭には花火もあった。自分たちが小さいころは、暑いので途中で水浴びしたりしながら、線路伝いに歩いて祭りにやってきた。祭りでは、お神輿は海へ帰る。今はテレビなどがあるが、当時娯楽は何もなかったから本当に楽しみだった。
観音講(山の神講)の定年
講を抜けるには、その家に新しい嫁が来ることが条件となっているため、新たな嫁のいない家からはいつまでも同じ人が参加することになっている。約15年前からは、雄勝町の各地区で観音講・山の神講に定年を設けることとなった。そのため、大浜でも定年を定めてもいいのではということになり、大浜地区の観音講...
地域のようすと天童家
45号線から先は何もなかった。八幡神社がぽつんとあっただけ、その先に海軍工廠跡地があり、遊びに行って掘り返すと機関銃の部品などが出て来た。米軍機が海軍工廠を爆撃に来たことを母が語っていた。 この辺りは、宝国寺から土地が高くなって山になっている。住む家も昔からあまり変わっていない。海軍工...
大谷川浜
旧暦では3月8日に祭をおこなっていたが、震災前は2月第4日曜日に行われていた。ただし神職が神事を行うのでなく集落のひとたちでお祓いをするという程度。 震災で大谷川浜は一軒も残らなかった。でも死者は0だった。それでも2011年は祭りが行われなかったし、2012年もやられる気配はない。
震災その後
現在の話者①家は昭和58年に建て替えたもの。その前の建物は移転してきた時には代用瓦の屋根で、戦後に本瓦に吹き替えた。津波は床上86センチまで浸水、襖や壁に跡が残っている。浸水時は話者①の父ら老人を介護施設に避難させ、自分たちは2階で水が引くのを待った。2ヵ月ほど後、畳を入れられる状態にな...
地区のまつり
地区のまつりとしては、毎年11月23日の下増田神社の新嘗祭や、毎年10月第1日曜日の町内会のまつりなどがある。 新嘗祭では、北釜地区の子どもたちが神輿を担ぎ、北釜地区内をまわる。神輿を担ぐ子どもの後ろに親と警察官だけが集落内をまわり、神職は神輿につかない。地区内の各家では、家族が門の所...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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