宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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1960年代
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高校生活・娯楽
-話者は宿浦から客船で気仙沼に行っていた? 気仙沼水産(高校)に行くときに乗っていた。あのころ客船1か月の定期が50円だったけどね、その定期買わねえで気仙沼まで歩いた。映画3回か4回か見れたんだねえ。だから山ね、山歩いて峠ね。わたし石浜だったから陣ヶ森から。気仙沼に3軒あったのなあ。鼎座...
獅子舞
お正月には2日かけて獅子舞が各家をまるものだった。日程は年ごとに決めるので、2日と3日、あるいは4日と5日、5日と6日という年もあった。年によって日にちは違うが、大体5日と6日ではないか。以前、魚を初売りに間に合わせたいのではやく漁をしたいという声にこたえて、1月1日にした時もある。 ...
寄木の被害状況
47軒あったが、そのうち35軒が流された。寄木にも9世帯の仮設住宅があるが、他地域に建設された仮設住宅にも寄木から入居しているので、現在、住民はバラバラになってしまった状態である。90歳代の男性1名が亡くなり、80歳代の女性が行方不明のままである。 契約会が所有する高台の土地に寄木から...
おばあさんたちの畑づくり
波伝谷仮設住宅では、おばあさんたちがやることがなく、家にこもっていてはいけないので、震災前は畑仕事をやってきたことから、ここの自治会長を務めている話者が中心となって、野菜作りをはじめることになった。これは、2011年度からはじまった被災地復興関連の「農と福祉の連携によるシニア能力活用モデ...
震災その後
現在の話者①家は昭和58年に建て替えたもの。その前の建物は移転してきた時には代用瓦の屋根で、戦後に本瓦に吹き替えた。津波は床上86センチまで浸水、襖や壁に跡が残っている。浸水時は話者①の父ら老人を介護施設に避難させ、自分たちは2階で水が引くのを待った。2ヵ月ほど後、畳を入れられる状態にな...
早稲谷鹿踊り
市史によると、早稲谷鹿踊は、仰山流山口派の祖である山口屋敷又助の子、山口喜左衛門が伝えたもので、「文政10年(1827)、その山口喜左衛門から「月立村八瀬」の「林蔵」へ伝承された」(『気仙沼市史』(Ⅶ民俗・宗教編)1994:184)とある。 この地区へ鹿踊りを伝えたのは喜左衛門であり、...
町の震災対応状況
2011年12月末に、町議会で「基本計画」が議決された現在、山元町のHPの復興計画のところからダウンロード可能となっている。この文書のなかに「とだえることのないように」という文言を入れた。 正式には「山元町震災復興計画 基本構想─キラリやまもと! みんなの希望と笑顔が輝くまち─」(20...
はじめに
本報告書の内容を提供してくれたのは、2012年より塩竈市浦戸寒風沢地区の区長をつとめている方である。自宅が津波により流出したため、現在は旧浦戸第一小学校跡に建設された仮設住宅に暮らしている。聞き取りは話者自宅の前で1時間ほどにわたっておこなった。またこの報告書には、2012年7月25日に...
話者の被災状況
石巻の佼成会の教会で被災した。激しい揺れの後、静かに水が流れ込み、教会周辺の住民と共に教会の2階に避難した。電気、水が通っていなかったので、食事などの生活面で不便が生じた。3月20日まで教会で過ごし、避難者の食事や身辺の世話をした。9日後になって、教会長に浜市まで送ってもらった。 震...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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