宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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大浜の婚姻
大浜ではかつてどの家でも「長持のウケトリワタシ」や「ヨメの門入リ」と称される婚姻儀礼が行われていた。「長持のウケトリワタシ」は、嫁とその付き添いの一同で構成される行列が、大浜部落に入る橋のところで婿方の出迎えを受け、この時に長持その他の道具類の受け渡しを行ったものである。橋の手前で待つ婿...
伊勢講について
伊勢講とは月浜の地区総会のことで、「地区の大事な話し合いは神様の前で行う」ことから伊勢講には必ずオイセサマとも呼ばれるお宮を置き、出席者はそれを拝んでから総会が行われる。年に2回、8月21日と1月21日に月浜公民館で行われていたが、以前は回り宿で行われていた。当番の家をトエ(当家)といい...
話者家の屋敷と暮らし
現在の家がある場所は、もともと光徳院という寺小屋があった。それに因んでジイサンの戒名にも光徳院を入れている。何かの工事で掘り返した時、湯殿山や月山と書かれた大きな石碑が出て来たが、埋め戻してしまった。 このあたりの地主は鎌田家。現在のフードセンターワダヤの場所に住んでいた。今は余所に住...
月浜の複合的な生業
従来の海苔養殖は、複合的な生業の一部であった。かつて海苔養殖業者が携わっていた他の生業のうち、磯漁は津波の被害が大きく、砂浜の砂が流されてアサリが取れなくなり、その砂が岩礁地帯に流れたので、ウニやアワビも取れなくなった。そちらの収入は、現在でもゼロに近い。アワビは、宮戸西部漁協にアワビ組...
写真3 天神社の山の神のお社からみた町跡
例祭:朝8時~
朝7時頃に町内放送で「朝8時~生活センターでお札を受け付けます」。生活センターへいくと、氏子総代と神職、お手伝いの女性二人がすでに待機している。お札は家内安全が5000円、交通安全が1000円、海上安全が5000円~10,000円である。
畑作
話者は、平成23年7月から国の補助を受け、白石市に120棟のビニールハウスを借り、チンゲンサイを生産している。今後はビニールハウスで栽培したものをカット野菜にして販売することをメインにしたいと考えている。 ビニールハウスは、以前北釜のひとたちが、刺身のツマにするダイコンを卸していた食品...
お正月について
お正月には玄関、門柱、農業機械にしめ縄をかざった。12月28日ころにはお供えの餅つきをしていたが、今では機械でつく。餅は仏壇と、神棚、床の間においていた。正月の飾りは7日に神社で穴を掘って焼く。そのことを「ドント祭」と呼ぶ。昔は15日だったが、長く飾っているとその間に不幸があったりすると...
震災後の契約講
震災後、波伝谷の人びとは海洋青年の家に避難していたが、着の身着のまま逃げてきたためお金がなかった。そして、4月4日に登米や鳴子に避難する人も多かったので、契約講のメンバーが集まり、そこで契約講の積立金を講員全員に分配し、この先どうなるかわからないので、一時休講とした。これが4月1日ごろの...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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