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従来の海苔養殖は、複合的な生業の一部であった。かつて海苔養殖業者が携わっていた他の生業のうち、磯漁は津波の被害が大きく、砂浜の砂が流されてアサリが取れなくなり、その砂が岩礁地帯に流れたので、ウニやアワビも取れなくなった。そちらの収入は、現在でもゼロに近い。アワビは、宮戸西部漁協にアワビ組合があり、そこで口開けを決めている。通常は6月と7月に10回ほど口が開くが、いまは稚貝を育てる施設が津波で流されてしまって買えず、当面はあまり採らずに資源保護に努めている。他にヒジキ、天然ワカメ、アサリ、ウニなどで口開けが決まっている。刺し網などの小漁をやっている人はいるが、放射能汚染などの影響で思うように魚は売れない。民宿は、集団移転地内に商業施設は建てられないという制約がある。そういうわけで、現状では海苔専業のようになっている。
今後もこの複合的な生業を、できるかぎり守っていきたいと考えている。協業化によって通年給料が出るようにはなるが、実際には繁忙期と閑散期がある。通常は4月いっぱいで海苔の生産は終わり、5月中に片付けをして、あとは次回の生産の準備に入る。その期間はそれほど忙しくもないので、この閑散期をどう過ごすか。月光メンバーの多くが「体験ネットワーク」(月浜の観光復興を中心となって進めているグループ)にも入っている。去年は活動できなかったが、今年は海苔の生産が終わったら参加できるのではないかと思っている。今後もメンバーを月光の仕事だけに縛るということは考えていない。収入的には「がんばる養殖」をやっている期間は大丈夫だと思うが、地域を盛り上げるという意味でも、観光の仕事にも積極的に関わっていきたい。
話者自身は、震災前は、3月からアサリ、4月から定置網などで魚取り、4~5月に天然ワカメを採集し、夏場は民宿もやっていた。網漁は民宿で客に出すためにやっていたので、民宿ができなくなると意味はなくなる。同様の事情で、月光に参加している人たちは今後、海苔を専業とし、それプラス多少の副業という感じになるだろう。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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