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浜市と連絡が取れたのは3月末であったが、津波による沿岸部の被害を知り、宮崎では浜市への支援を行った。まず熊野神社氏子総代会を開き、具体的な支援の方法を考えた。浜市に何か支援等を行うときは、まず氏子総代の役員会で原案を作り、それを元に氏子総代会を開催して審議し、支援内容などを決定した。
氏子総代会で協議した結果、仮設住宅には4月に米を支援物資として持って行った。支援物資としては、ほかに水という案も出されていた。ほかに、浜市へのお見舞い金として30万円を渡した。4月のはじめから6月まで「陶芸の里」(平成6年に町営として営業開始、平成11年4月より株式会社陶芸の里宮崎振興公社)にある入浴施設「ゆ~らんど」が、浜市をはじめとした東松島市の住民に風呂を提供した。バスで送迎もした。氏子総代会では、東松島市から「ゆ~らんど」に来る人々に対し、昼食を提供することにした。これには民生委員や婦人会のひとびとに協力を要請し、熊野神社の氏子たちで行った。
こうした支援活動は、これまで御潮垢離神事の際に、浜市地区の住民に世話になったことに対する恩返しという気持ちもあった。浜市地区からは、役員のひとたちが7月に御礼として宮崎に来た。
話者①らは、昼食の提供などが終わった後も、浜市地区の様子を気にかけていた。話者①は浜市の復興のようすを確認するために、平成24年1月に浜市や大曲周辺を訪ね、写真を撮ってきた。浜市を訪問したのは、1月から3月にかけて、宮崎の各集落で総会が行われ、その際に御潮垢離を行うのかどうかを伝えなければならないからである。実際に、集落の役員から今年開催するのかどうかの問い合わせがあった。
話者①の実感としては、神輿が浜市に降りることができるようになるのは来年か再来年である。浜市への神輿の巡行は20年に一度の周期であるが、それにこだわらずに、浜市が復興したら巡行したいと思っている。
しかし、浜市は津波の被害を受けているため、復興後もこれまで通りにはできないと考えている。たとえば、浜市地区で神輿を安置するための臼を保管し、御潮垢離神事でご神体に海水をかける役であった鹿野家の住民が震災により死去したため、受け入れてもらえる体勢ではない。ご神体に海水をかける役は、浜市の「一般」のひとから選ぶのも大変だと思うので、今後は熊野神社宮司に行ってもらいたい。
神輿が浜市まで巡行できても、神輿が浜まで行くためには、貞山堀(北上運河)を渡らなければいけないが、これは平成24年1月現在仮設の橋であることから、神輿を担いで渡ることは難しいと考えている。また、浜市での宿泊場所として利用していたかんぽの宿が被災して使用できないため、浜市から日帰りしなければならないと思われる。日帰りの場合は、獅子舞をするひとたちが疲れることが懸念される。
だが、浜市地区の住民の方が住んでいる仮設住宅を獅子舞が回ってお祓いをしてほしいというような要望があれば、それに応えたい。話者①自身は、なるたけ早く復興という意味を込めて仮設住宅をまわって獅子舞を見せたいと思っているが、話を持ち出せないでいるという。宮崎に帰ってくるのが遅くなっても車で1時間ほどの距離であるし、仮設住宅での生活が落ち着く3年後くらいには、式年祭を行いたいと考えている。震災が起きたのだからスケジュールの変更はやむを得ないと認識している。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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