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中谷地の氏神は萩原神社。昔は「喜宝院様」ともいった。氏子は中谷地の契約講と同じ。もともと9月9日が祭日だったが、人が集まりにくくなったので今は第1日曜日としている。神社を参拝した後、直会をする。以前はかあちゃんが里芋の蒸かしたものを用意した。近年は直会の料理は仕出し屋に頼んでおり、それにはおふかし(赤飯)が用意されていたが、あまり食べられないのでここ2年は止めている。話者①は話者①の父から昔は出店も出たと聞いている。鹿踊も3回ほど奉納した。
宮内は移転前から神社がなく、地蔵をお祭りするだけ。原はもともと神社があり、中谷地の人の土地を借りてお祀りしていたが、後にその土地を返却した。神様をもてあましたらしい。今は中谷地のA氏がご神体を預かっていて、年1回、八幡神社の宮司に来てもらっている。
御釈迦講は2月15日に開催している。講員の家にお釈迦様の掛け軸をかけてお参りした後、飲食する。原や宮内など旧沖区の人も参加する。市内・笠神の下馬に移転した「アメリカ屋」(屋号、先祖に渡米した人がいる)も参加する。ここ5、6年は小野屋ホテルで開催している。掛け軸は下馬に居住している講員が持っている。
古峰ヶ原講は年1回、3月末に行っている。講員は旧沖区の人。現在は旅行会社のツアーに参加して参詣している。
鹿踊は移転により長らく中断していた。昔は歌もあり、正月には門付けもしていたらしいが、話者①も移転前に鹿踊を見た記憶がない。現在の伝承は本来のものではない。多賀城市の市政施行(昭和46年)に際して、何か民俗芸能が残っていないかということで鹿踊を復活させることになった。中谷地出身で下馬在住の石橋久作さん(明治生まれ)が復活の中心になった。囃子は仙台フィルの片岡良和さんが五線譜に記載、それを話者②がもとに数字で表記した分かりやすい譜面をつくり、それによって演奏している。フレーズの繰り返しにも微妙な違いがあったのを、単純な繰り返しにして簡単にした。話者②が笛を担当したのは、尺八の経験があるからである。話者②の一族は芸達者で、父親と祖母が謠の師匠をしており、納屋の2階を会場に青年7、8人に謠を教えていた。鹿踊の振り付けはモダンダンサーである片岡良和さんの奥さんがした。鹿踊復活を記した石碑があり、世話人はC氏、笛は話者②の名前、太鼓はD氏などの名前が刻まれている。市指定文化財になっており、補助をもらうにあたっては収支の管理をしっかりしなければダメとのお達しがあった。現在の保存会メンバーは30~50代とさまざま。もともと何歳頃からやっていたのかもよく分からない。動きが激しくなかなかしんどい。後継者も不足している。小学校でも保存継承活動に取り組むようになっている。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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