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波伝谷の高台移転の候補地は現在、部落内では坂本の山側のサダミネと神社東側の松崎跡地の2か所あり、それ以外に個人で家を建てるという人が数軒、また南三陸町で準備するゴルフ場跡地の復興住宅に移るという人もいる。周辺の部落は、すべて1か所であるが、波伝谷は75軒ほどあったので、最初は1か所でと言っていたが、結局2か所となり、役場と交渉して現在のように決まった。しかし、分かれたといっても工事は一緒にという方針があり、一方で決まっても、もう一方で決まらなければ工事ははじめられない。また、海の仕事をやる人と会社員は生活のサイクルが違うので、陸前高田のように分けた方がいいのではないかなど、さまざまな意見も出されているという。2か所のうちどちらを選ぶかであるが、だいたい震災前に家のあった場所に近い方にする傾向があるようである。規模は、松崎跡地の方が大きいのではとのことであった。
高台移転に関して、土地や建物は自己負担で、水道や電気の整備はやってもらえることになっている。これには、契約講は関与しておらず、サダミネに移転を希望する者の中から2名、松崎跡地に移転を希望する者の中から4名の代表者が選ばれ、行政との折衝や内部の調整を担当している。選出方法であるが、サダミネの場合、そういう雰囲気もあって、自分から引き受けることになったそうである。
サダミネの方については、2012年のお盆のころに希望者で場所を見学した。最初は、4か所ぐらい候補が出ていた。そしてみんなで見て回り、その時の希望者全員分の家が建ちそうな広さがあるということで、最終的に場所が決まった。11月23日に話し合いを持ち、ある程度決まったというが、それでも迷っている人も多い。
というのは、たとえば50歳くらいであれば、気に入らない場合、別の場所に建て直すことも可能であるが、70歳以上になるとこれが最後になるので、慎重にならざるを得ない。特に、移転時期が遅れる可能性が高く、5年、10年後に家を建てるとなると、高齢者は70歳、80歳になるので、後継者がどうなるかわからない家では町の復興住宅にするか迷うという例もある。そのため、若い世代は早く建てたいという人が多く、話者も娘さんがおられるが、今の仮設では狭いので、お嫁に行くまでには建て、新しい家から送り出してあげたいと思っている。
また、各自がそれぞれで家を建てていたので、集団で入ることに戸惑いを持つ人や、ベイサイド・アリーナ近くの商工団地みたいになるからと言って実際に現地を見に行った人が、やはりどうするか迷ってしまったという例もある。
また、昔、波伝谷では本家が土地を譲ってベッカ(別家=分家のこと)を出すという慣習があったが、高台移転では実際はいったん買い上げてから各自が買うことになっているにもかかわらず、昔のことをよく覚えている人は、移転先が波伝谷内の地主の土地であったということで、この記憶と重ねてしまい、抵抗を感じる例もあるそうである。
11月23日の話し合いで、ある程度参加する家は決まり、役場に届けたが、その後は連絡もないそうである。役場の方針としては、最終決定してからということのようであるが、時間がかかる分、余計に迷う人も出てきて悪循環のようになっている。
それでも、サダミネの方では、調査当時、すでに場所も決まり地主の了解も得て、測量しようという段階に来ている。高台移転の造成までもう少しであるが、それでも次の問題がある。それは、移転先で誰がどの場所に入るかという点である。11月23日の話し合いでは、抽選で良いのではという話も出たが、そう簡単ではない。今まで一軒家でやってきたわけであるから、端の方がいいとか、前や後ろ、また価格等それぞれの希望があり、これをどうするか、みんなで話し合う必要がある。
また、移転後についても、高台ということで、お年寄りが海岸に降りるのに、非常に不便になる。国道398号線もかさ上げするので、車があればよいが、ない人はリアカーを使うなどしなければならないし、作業の合間にご飯を食べに帰ったり、ちょっとした片付けも難しくなる。さまざまな問題が考えられ、これらをどうするかも考えておく必要があるという。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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