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S-4 気仙沼市小々汐地区
2012
S-4 気仙沼市小々汐地区
(PDF)
[調査日]
2012 年 12 月 30 日(日)
[報告者]
梅屋潔
[調査者]
梅屋潔
[補助調査者]
[話者]
(1)S125気仙沼市議(1943年生れ - 男)
写真3 金比羅さんへの参拝。
タグ
震災後
年中行事
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この話者の他の調査ノート
S125気仙沼市議
2011
S-3 気仙沼市鹿折浪板地区
(PDF)
関連カード
地区
被災した際(3月 11日)以降の状況
地震があったときには職場にいた。90になる母と妹の安否確認に自宅に戻った。自宅は壊れたものもなく、母も妹も無事だったが、大地震の後には津波が来る、との認識があったために、津波が来たら2階に上がっているように2人に言い置いて、職場に戻った。 公民館に戻ると避難民があつまってきていた。15...
鹿折と浪板虎舞保存会の被害と今後
震災で亡くなったのは、前幹事長で顧問、会計兼副会長(規約上自治会長は保存会副会長を兼ねることになっている)夫妻。浪板1地区では6名、浪板2地区では17人、計23名が犠牲になった。 もともとは、カトク(家督)つまり長男しか虎舞に関わることはできなかった。しかし、大学にいったり、就職したり...
トーメー(当番)
八幡神社の御輿の担ぎ手、ロクシャク(陸尺)はトーメーと呼ばれる当番制で担当することになっている。鹿折地区では4つの地区(中才・浪板・蔵底(くらそこ)・東八幡)で毎年当番を決め、八幡神社での祭礼をおこなっている。当番はこの4つの地区でローテーションにより決め、中才・浪板・蔵底・東八幡の順番...
それ以外の社祠
話者は5人兄弟である。一番下の弟がトロッコの下敷きになったことがある。命が助かったので、その場所にオダルガミ(山の神)を祀り父と弟の名で木の鳥居を寄進した。その後それは朽ちてしまったので、その土地の地主が鉄筋の鳥居を建てている。 八雲神社には、祖父の代にイドバタアミというカツオの一本釣...
お年とり
今年は、自宅も神棚も流されたので、正月飾りは市販の丸いしめ縄を飾るだけの簡便なものにしようと考えている。本来は母屋には三つ揃えの松、7本のしめ縄を飾り、離れには二段の松に5本のしめ縄、水回りには3本の輪、また井戸、風呂、離れの水道、トイレ、自転車、自動車、耕耘機、臼、若水迎えの桶など10...
被災時の状況
震災当時、自分は市内(市街地)にいた。工場で加工するための原料を運搬中に被災した。当時工場では16名(うち2名は実子)が働いていた。津波が来るのはわかっていたので、従業員は自宅に帰し、息子に工場の真空包装機など高価な設備をフォークリフトで避難させた。魚市場が見える裏の山(地所)に家族4人...
虎舞と八幡神社のトーメー(当番)、村の組織
虎舞は飯綱神社でまず奉納をして、漁で生計を立てているところを回るものだ。須賀神社は150年ほど前から現在のかたちで崇敬されていたと聞いている。現在の別当はA(屋号は岩城)、渾名は「50番」。タクシーをやっている。飯綱神社の別当は、長浜(屋号)。名字は同じくAである。須賀神社自体は12、3...
お年とり
神棚も無事であるので、例年に近いものはしたいと考えている。正月には七房のついたしめ縄、スカシ、(紙の)網、星の玉(ほしのだま)を7枚セット(ほかに5枚セット、3枚セットがある)になったものを天照皇大神宮の札と一緒に八幡神社から選ばれた総代役が12月1日に祓いを受けてもらってくる。星の玉は...
家の歴史
当家は、私で16代目になる。父も祖父も婿養子であったため、なかなかシュウトオヤとの関係が難しかったと聞いている。祖父が芸達者だったため、父はしょっちゅう歌を歌わされて参ったという。 もともとは、海苔、牡蠣、コウナゴ漁などを家業としていたが、チリ沖地震(昭和35年)の津波があり、その翌年...
写真1 しめ縄、天照皇大神宮の神棚と御弊。下がって
キーワード
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
学校での神楽教育
学校で笛と太鼓を教えるのは難しい。楽譜などがないからだ。震災前の状況としてはこうした中で臨時に雇われていた女の先生が重要な役割を果たした。彼女は盛岡出身で「さんさ踊り」で笛をやっていた。まず保存会で笛の様子をビデオで撮影した。それをみて習ってもらった。ずっと以前、伝承の手段として、譜面に...
神楽の被災
震災後の状況として、当面の問題は太鼓や笛はなんとかなったが、面をどうするかという問題がある。 浜通りの地区にある天神社(高瀬天神社とは別)は鳥居が10メートルぐらい流された。それで見つかったので、クレーンで12月30日に作業をおこない再建した。津波は波が力をもっているというよりも、がれ...
笠野地区概況
話者②は、笠野地区の副区長でもあり、現在東田仮設住宅の行政連絡委員をつとめている。行政連絡委員とは昔の区があったときと同じように、役場からの配布物のとりまとめなどの仕事をする。東田仮設住宅には267軒が住んでいる。話者②自身は震災後角田市に身を寄せていたものの、9月からは東田仮設住宅へと...
八重垣神社でのお祭りについて
旧暦6月15日に行われる。笠野と新浜区が合同で行っている祭り。夜には花火を打ち上げていた。夜店も出ていた。区の総会時に八重垣神社の総会も行う。区の中にも入っていない人もいるが、区としては八重垣神社のお祭りを区をあげて応援していくという体制をとっている。だから、班長もそれぞれ役割を担ってい...
神社の今後について
笠野・新浜地区は住居の新築は禁止されているが、神社は新たに建造することを許されているため、同じ場所での再建を目指す。より安全なところに社殿を構えはしないのかというと、それは考えていないという。その理由については下記のようにいくつかある。 八重垣神社が建立されてから1,200年の間に何回...
日月堂
大字寺島のなかでも寺島部落は日月堂、蒲崎と新浜は湊神社を祀っている。日月堂の拝殿が震災により倒壊してしまったのでいまでは解体してしまった。また、鳥居と旗竿があったが地震(振動)により壊れてしまった。祭神は日天月天であるといい、八幡旗が昔あったのでそれがご神体だったのではないかと思う。 ...
部落のお祭
3月1日と11月の何日かに祭がある。それぞれの家庭で行う。エンナカの人たちが皆やってきて、魚料理や御馳走を作って楽しむ。これは村落単位ではなく、各家庭それぞれが行うものである。かつては旧暦で行っていたが、今は新暦で行う。
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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